すべての人に雨は降り注ぎ、時は流れる

お題「わたしの癒やし」

後から振り返ってみると、出来事がなんとなくつながっていたなぁと思う一日がある。

ダヴィンチとレインサウンドとモネ。昨日はそういう日だった。

 

ダン・ブラウンダヴィンチ・コード

中学生の頃、映画が公開されたかと思う。学級文庫にあったので朝読書の時間に読んでみたが途中で挫折した、という思い出のある本だった。

嵐が丘』など読んでいたので、読むパワーは割ともっていた時期だと思う。なんで読むのをやめたんだっけ?

とにかく、「肉体を責め苦にする儀式」の描写があったことだけ鮮明に覚えていた。

 

それから数年経った現在。アルバイト先の先輩と本の貸しあいっこをした中に、この本があった。

 読んでみると、するすると進む。

展開や、キリスト教と美術にまつわる大量の蘊蓄が面白くてページを繰る手が止まらず、上中下の3巻を自分の中ではものすごいスピードで読み終えた。

睡眠時間を削る日もあった。どうして読書が深夜に突入するとあんなにも止まらないのか。

 

中学生から現在に至るまでに、美術展に足を運ぶようになったこと、フランスを訪れたこと、様々な本に出合ってきたこと―この本と再会する準備が整っていたのかもしれないなぁなんて思った。

 

レインサウンド

話はうってかわり、youtubeの話。

最近何かをする傍ら、自然の音の動画をBGMに流すことにはまっている。

川のせせらぎ、寄せては返す波の音、たき火、雷など…

中にはジャズ・ミュージックと自然の音をコラボさせたものもあって、とりわけ私が気に入っているのが雨の音との組み合わせだ。

 

外がせっかく晴天で晴れやかな気分にさせてくれるのに、わざわざ雨の道路がサムネイルになっている動画を選択したりしてしまう。

雨は自分がその中を歩く当事者にはあまりなりたくないが、部屋の中から傍観する分にはとてもいい。

 水の音に包まれることは、やはり生物にとってどこか特別なところがあるのだろうか。

 


Rainy Jazz: Relaxing Jazz & Bossa Nova Music Radio - 24/7 Chill Out Piano & Guitar Music

 

スピッツの「小さな生き物」に、「臆病な背中にも 等しく雨が降る」というフレーズがあって、それがとても好きだ。

高潔な背中にも、卑屈な背中にも、等しく雨が降って、世界を包み込んでいく雨。

 

モネ すべての時間をこめる”癒し”

ダヴィンチ・コード』を全て読み終え、レインサウンドを聴いて少し寒さを感じながら課題をしていた夜、集中が切れてきたので録りだめしていたテレビでも観ることにした。

NHK日曜美術館「”楽園”を求めて~モネとマティス 知られざる横顔~」

この番組は初めて見たが、とても面白かった。Eテレさんはやはりいい番組を提供してくださるなぁ。

 

番組の内容は、POLA美術館での斬新な企画展に沿いながら、印象派の巨匠モネと「色彩の魔術師」と呼ばれたマティスの共通点を探るというものだった。

産業化による社会の転換期、第一次世界大戦スペイン風邪の流行

芸術家にとって苦しい時代が続く中、2人は自分だけの「楽園」をつくり、そこで生活し、様々な作品を生み出していった。

 

番組の中で、印象に残った箇所が2つある。

一つは、多くの芸術家たちが共感したという、ある詩人の作品

生きるとは、病院に入っているようなものだ。

 「ここではないどこかへ!」

メモが間に合わず、検索してみたけど見つけ出せなくてこれだけしか情報を残せなかったが、これで十分であるともいえる。

産業化や社会の混乱で八方塞がりで苦しい思いに悶えていた当時の人々の重さには及ばないかもしれないが、

たしかに生きることには常に渇求や焦燥がともにある気がしてならない。

「ここではないどこかへ!」「もっといい人生がきっとある!」

 

読書とは、自分の人生が一つしかないことへの抵抗である―

という言葉をSNS上で見たことがある。

ダヴィンチ・コード』でキリスト教と芸術の関連を読み解く宗教象徴学者の人生の一部も体験したし、

Eテレでモネやマティスの、芸術に身を賭した人生の一部を体験することができた。

 

だけど、もっと知りたい。

何かを成し遂げた人、何も成し遂げられず苦しんでいる人、喜びの人生も悲しみの人生も。すべての人生に雨は降るし、太陽も降り注ぐ。

 

🎨

 

印象に残った箇所のもう一つは、オランジュリー美術館でのモネの「睡蓮」の解説。

展示室は「睡蓮」のためだけの空間になっている。

明るい光が差し込む白い展示室の四方の壁を4種類の「睡蓮」が飾る。鑑賞者は中央の椅子に腰かけながらゆったり過ごすことができる。

 

モネは睡蓮をモチーフにした作品を何枚も描いたと言われ、

この四方の壁を飾る「睡蓮」も、一枚ずつ季節や一日の中の時間帯が異なるという。

鑑賞者は展示室をぐるりと見渡すことで、季節や時間の円環を感じ取ることができるようになっているというのだ。

 

「4枚の睡蓮の中に全ての時間を込めた」と、解説が入る。

それによって、観る人を癒すことをモネは大切にしていた、と。

 

たしかに、”癒し”にとって”時間の流れ”は重要なパートナーかもしれない。

温泉では「ゆったりした時間」に非日常的な解放感を味わえるし、

夕焼けに惹かれるのは単に空が美しいからだけでなく、その中に「今日が終わる」ことへの慰労を感じるからだろう。

落ち込んだ時も、よく「時の流れ」が解決してくれるものだ。

 

気分が何となく落ち込んでいた時に海に行って、大発見したことがある。

<海はいつも動いている>ということだ。

自然はきっと動きを止めることがない。

たとえ私が落ち込んで動かなくなってしまっても、海水は動き続けているし、私の臓器や細胞も動きを止めることはない。

これに衝撃を受けた。

 

雨。雨もその姿でとどまることはできない。

道に落ちたら「水たまり」に変化してしまうからだ。

雨は流れる水の姿の一つだ。だから、レインサウンドに惹かれるのだろうか。

 

でも、今日は寒いので、たき火の音の動画にしてみようかな。