言葉の墓場

何となく今浮かんだ言葉をタイトルにした。

「言葉の墓場」ってどういうニュアンスを感じさせるだろう。誰にも読まれない日記は言葉の墓場か、秘密の宝箱か。

 

ニール・ゲイマンの短編集を読んで、絶賛文体の影響を受けています。といっても、ただの雰囲気物真似でしかないけど…。

 

これまで、下書きして、推敲して、3つの記事を投稿してみた。誰かが読む可能性を想定して何か書くというのは普段あまりないことだ。3つの記事は、とても練習になった。

 

しかし、まだめちゃめちゃ時間がかかる。

元々、誰かに読んでもらうためとか、何か役に立つものを生み出そうとか、そんな願いを込めて書いていた訳でない。けれど、この表現大丈夫か、とか、誤った情報でないか、とか色々気にしていると、めちゃめちゃ時間が経っている。

 こういった作業は公なところに文章を書くなら必要なことではあるけれども、ちょっと日常を侵食しすぎた。

 

そんな中、最近、リチャード・ブローティガン『西瓜糖の日々』や吉田篤弘さんの『ガリヴァーの帽子』、ニール・ゲイマンの『壊れやすいもの』を読んだ。

(海外の作家さんにも「さん」付けたいけど、付けると変な感じがする)

わぁ、こんな小説の形があるのか。日記もブログも色んな形があるかぁ。と思った。

だから、もっと日記の本来の姿に、気楽なものにしてみようと思う。私にしかわからんような、たった数行とかでもいいかな。

私的なノートにでも書いておけばいいようなものを、インターネットの情報の森が深いことにあやかってここに書いているだけなのだ。もし、森の中を進んでここに辿りついた人がいたら、その人の中に何かを起こせるといいなとも思うけれど、それは私が願ったところでどうしようもないことだし。

 

ということで、書きかけのものとはぼちぼち付き合っていくとして、適度な推敲で、気楽な場所にしていこう。墓場となろうがなんだろうが、書き上げることで何かが残るわけだから、と思う次第です。