夜へ向かう空の話

夕空の低いところに、いつもの何倍かの大きさで、チェダーチーズの色に輝く月を見つけるといつも嬉しくなって、誰かに教えたくなってしまう。

 

また違う日、空が東から西へその全体をつかって、深い藍色から太陽の色へグラデーションになっていることに気付く。そして、地球も惑星であることを思い出す。

日没後に空の青が深くなる現象は”ブルーモーメント”と呼ばれているらしい。

 

夏の帰り道、日が落ちてしばらくたっても夜へバトンは渡されない。太陽の名残りの光で雲の西側が柔らかく照らされ、東側は薄い鼠色。積雲はもくもくしているから影が繊細に浮き立って立体感を増す。宗教画みたい、と思った。

そうしたらある日、イエスキリストのような形の雲が現れた。両手を広げ、白いローブというのか、ワンピースのような祭服を風になびかせ、少し前のめりに空をとんでいた。

 

 

またある夏の日、”ブルーモーメント”の訪れを予感させる明るい夕方だった。

連日夕立が続いていて、かなり湿度は高かったが風がよく吹いており、少し秋のことが頭をよぎる。

その日は自転車に乗っていた。風をきって進んでいるととても気分がよくて、それから最近読んでいる小説の影響もあって、ペダルを漕ぎながら空想の世界へトリップ。

 

――ここは水の中の世界、雨がたくさん降って街は水に包まれてしまった。水の包むやさしい世界。空は水面、太陽の光で黄色や緑がかかって、シイラのからだの色。

中からは、水面の先のことはわからない――

 

この景色は、水底から水面を見上げた景色。空気が湿気を含んでいるので、自転車で風をきって進むと、まるで水をきっているような感覚になれた。

たいへんいい気分になった。

 

 

そんな夕方を終え、夜がやってくると、チェダーチーズの月が地球の様子を覗きに来ていた。だから、月と一対一になれる海へ自転車を走らせ、地球側の人間として出迎えることにした。それは私にとって初めてのことだった。

 

海で月にあいまみえると、月は先ほどより少し上に昇って、私をやさしく見下ろしていた。そして、私の方に下ろされた光の帯が海に漂っていた。この帯の上を渡って、そっちまで行けそうだなと思った。残念ながら帯は沖の方までしかなく、飛び乗ることはできそうにはなかった。

梶井基次郎の『Kの昇天―或はKの溺死』を思い浮かべ、これは確かに月の方へ行きたくなるよね、と思った。

 

 

一日を締めくくる空が美しいと、本当に癒される。明日はどんな空に遊んでもらおう。